「男装の麗人」水の江滝子さん、天国へ
11月22日7時52分配信 サンケイスポーツ
「ターキー」の愛称で親しまれた元女優で映画プロデューサー、水の江滝子(みずのえ・たきこ)さんが16日午後6時45分、老衰のため神奈川県内で死去したことが21日、分かった。94歳だった。戦前、男役の「男装の麗人」として一世を風靡(ふうび)し、プロデューサーとして昭和の大スター、石原裕次郎さんを発掘。NHKの娯楽番組「ジェスチャー」などに出演し人気を博した。葬儀は近親者のみで済ませた。
関係者によると、水の江さんは、3月に肺炎で約1カ月入院。一時は回復したが、次第に体が弱り、眠るように息を引き取った。
昭和の芸能界を生き、その隆盛を築く一翼を担った。スタートは東京松竹楽劇部(後の松竹歌劇団=SKD)。1928年に1期生として入団し、ショートカットとタキシード姿がレビュー史上最初の“男装の麗人”として人気を博した。
映画「花くらべ狸御殿」(49年)にも出演したが、53年に女優を引退。54年には日活にプロデューサーとして招かれ、浅丘ルリ子(69)のデビュー作「緑はるかに」(55年)などを制作した。
後にビッグスターとなる故石原裕次郎さんの魅力にいち早く目をつけ、56年に「太陽の季節」に起用。裕次郎さんは背が高すぎるという日活に反し、「強引に顔を大写しにして」世に送り出したエピソードも。以後日活映画の黄金期を築いた。
敏腕プロデューサーとして名をはせる一方、53年からNHK「ジェスチャー」の女性軍キャプテンを15年間つとめた。司会を務めたテレビ朝日系「独占!女の60分」では日活ロマンポルノの撮影現場潜入を扱うなど当時としては過激な内容だったが、からっとした語り口で、主婦層からも受け入れられた。
ざっくばらんでおおらかな性格。世間を驚かすこともあった。93年、「おちゃらけているように見えるけど私は本気。死んだらお世話になった人にお礼も言えない」と当時はまだ珍しかった生前葬を敢行。葬儀委員長は10日に亡くなった森繁久彌さん(享年96)。「死んだと思えば、気持ちもおおらかになる」と語っていた。
94年の映画「女ざかり」(大林宣彦監督)への特別出演が最後の芸能活動に。晩年は、神奈川・足柄上郡にあるミカン畑に囲まれた自宅で愛犬と静かに暮らした。近所の主婦(75)は、「30年ぐらい前、馬に乗って花屋さんに買い物に来ていた。きれいで粋な人でした」としのんだ。
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